空想の果樹園から落ちた布の赤リンゴの層、鋭角に土地から抜き出ている一枚岩の黒い金属の厚板、リン光を発する睡蓮の葉 ̶ これらは、善福寺公園に現れた、善福寺の住民を脅かし、興奮させ、ショックを受けさせた多岐に渡る作品の一部です。
「トロールの森」は、東京都市部に位置する杉並の西端にある、小さいけれども人々に愛されている善福寺公園で、毎年秋に行われる野外アート展である。今年10周年を迎え、国内外のアーティストと数組のパフォーマーと地元のグループを集めたこのイベントは、現代美術を地域の日常生活に近づかせることを目指している。パートナーの村田達彦氏と共にトロールの森を創設した村田弘子氏は、イベントを始めた理由について以下のように説明する:
「最初にアイディアが浮かんだのは、神奈川県の藤野フィールドワークという現代美術の野外アート展を手伝った頃から。アーティストが一所懸命やっていたし、とてもいい企画だったけど、せっかく良いものやっていても、 わざわざ遠くまで来てくれて見に来てくれるごく少数の美術関係者だけ。地元の人がいっぱいいるのに、全く無関心。杉並だったら、東京だったらどうなるかな、とちょっと思ったのね。公園で犬の散歩とか、子供の遊び場とか、色々な人がいるのが善福寺公園。あそこでやってみたらどういう反応があるだろうと思って。 美術好きなら、現代美術に馴染みが無くても、身近に体験する機会ができれば、理解が進むと考えた。2001年に、色々考えて計画して、2002年にスタートしたの。」
続いて村田弘子は、展覧会のユニークな名前を選んだ理由について語った。
「ちょっと変な例えなのだけれども、突然変なものが出て来るわけでしょう?『現代美術なんて何なのよ、訳分からないわ』っていうのは、一般の人の反応でしょう。まあ、言ってみれば「トロール(妖精)」のようなものですよね。でも、そういう風にひっかきまわすこと、ちょっと刺激することで、日常がちょっと変わって来たりとか、なんか刺激されることで、気付くことがあるじゃないですか。だからそういう意味で、トロールの森を考えた。」
村田達彦が続いて、善福寺公園のユニークな歴史について話す:
「善福寺公園は、先の公園の地主さん達が共同して皆で作った公園。東京都立公園となったのはそのずっと後のこと。地元が作った自分の公園というのもある。桃四も(今年の「トロール」会場の一つ、公園の近辺にある桃井第四小学校)、元々この地域の地主さんがお金を出し合って始り、学校を自分で作った。後から、杉並区の第四小学校になった。」
善福寺エリアは、大昔は江戸城に野菜を納める農村だった。戦後、土地を買い自分の家を建てたい裕福な人々が引っ越して来て、住宅地に変わっていった。次の世代、そのまた次の世代と、近年になるにつれ大きい家は四つ五つと分割され、新しい世代が住み始めた。この数年、善福寺のコミュニティー構成が劇的に変化した。
現在善福寺に住んでいる様々な世代は、「トロール」に対してどういう反応を示しただろうか。最初の展示について、村田弘子が語る:
「まず一番すぐに反応があったのは、ラジオぱちぱち(善福寺コミュニティーの為に、生放送のラジオを運営している地元のグループ。トロールと同様に今年十周年を迎えている)という方達からで、そういうことを始めるのだったらインタビューさせて、という話しがありました。具体的に展示をしてみて最初の反応はというと、高島くんの作品は、実は、アイロニーを含んでいたが、~くるくる回って、みためにはとても楽しいものだった。最後に、皆勝手に持って帰っていいですよっていう表示をしたのね。いたずらされるかなと思ったのだけど、ぜんぜんされなくて。で、最後に奇麗になくなった。大きな声として特に反応はなかったのだけど、その作品を差し上げますということに対して、全部持って帰って貰えたということは、それを結構楽しみにしていた人もいたのだろうな、ということね。
後は、横山さんの作品。池に睡蓮の花とはっぱを浮かべて、花の中が特殊な塗料が塗ってあって、夜になるとぽっと明かりが灯るような感じに光るきれいな作品だったのね。初めに作家が考えたのは、ネットに花をくっ付けてしっかり留めて浮かばせる方法だったのだけど、公園に良く出入りしている野鳥の会の人からクレームが出た。それで、作家が他の方法を考えて浮かばせたけど、一ヶ月間展示したから離れて行っちゃって、壊れたので、またクレームがあった。」
そして、最初の年は、フィンランドから、遊工房のアーティスト・イン・レジデンスの滞在作家であった彫刻家アンティ・イロネンさんも参加し、高島さん、横山さんとのたった3人の作家で始まりました。
アンティさんは、地元の地主さんの特別の許可を得て、大量の篠竹を取らせてもらい、池の小さな島にユニークな竹のインスタレーションを設置しました。野外アート展のタイトル、「トロールの森」のトロールの元は、実はアンティさんの故国フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの「ムーミン・トロール」からきました。
善福寺公園という場所は、参加アーティストに色んな難題を与えている。住宅街に囲まれているこの公共の空間は、普段使っている人にとって、私有空間の延長のように思われている。近くの住民が共有する庭のような存在だ。だから、日常が微妙に変化されることで、摩擦を起こしかねない。善福寺公園は又、いわゆる「自然公園」でもあり、管理局が一生懸命に自然に維持している。
数回参加するアーティストもいるということは、「トロール」で展示する利益の方が、乗り越えなければならない障害を上回る。では、最初の展示に参加した3人のアーティストを再び揃う今年の「トロール」には、どういう期待があるのだろうか。
「10周年は、要するに私の気持ちの中では、「10年間よくやってこれた。皆さんのお陰で本当にありがとう!」っていう感じです。だから楽しんで良い作品を作家さんが作り、展示が出来。去年からパフォーマンスも加わり、ラジオぱちぱちカフェもあり、そういうすべてを含め、やる側も、みる側も楽しんでもらう、お祭り的な感じでいいかなと思っています。10年を祝う!」
2011年には国内外アーティストによる野外アート展だけでなく、週末に様々なパフォーマンスも見られる。前の展示と同様に、地元のラジオぱちぱちが公園でカフェをステージの側に設置、コーヒーとお茶を提供する。又、作品について解説を聞く機会となる参加アーティストによるアートツアーもある。
これからの「トロール」を考えているからかもしれないが、今年は特別に隣の桃四小学校との共同プロジェクトが幾つかある。これらのプロジェクトでは、児童がアーティストと直接関わって作品を作っていて、トロールに森の一環として校内に展示される。これからの10年として、 アーティストと善福寺コミュニティーとのコラボレーションを展開し続けることについて、村田夫妻はコメントする。
「色々考えながら、いろんな問題を抱えつつ、続けて来て10年になった訳なのだけども、結構下地は出来たと思うのね。下地は出来たということは、下地の上に何かを作らないといけない・・・今まで私たちが繋がってきたところと、次の若い世代がうまく繋がれるところ、ちがう繋がり方ができても、いいのかなって、形が変わってきてしまっても全然かまわないのですね。でも無くなってしまうのは、残念だと思っています。やっと認知されるようになって来たと思うから・・・。今後は、アートのイベントとしてもっと内容が人に伝わって行くような。「ああ面白いね。何かやってるね。楽しいね」というだけではないことが今まで以上に出来ると良いとおもいます。次の世代に期待したいです。」
「トロールの森2011」は、11月3日から、23日まで行う予定です。
インタビュアー:ジェイミ・ハンフリーズ
写真:金井 学